薩摩藩藩主 島津重豪(号は榮翁)肉筆書掛軸 鹿児島

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字の形を整える為に後から加筆してる箇所あります。軸先含めない全体的な大きさは194cm×46cm程度です。しみあり島津重豪という藩主である。重豪は1745年(延享2)、鹿児島で生まれたが、母は重豪を生んだ日に亡くなった。5歳の時、加治木島津家をついだ。1755年(宝暦5)、重豪がわずか11歳の時、第25代の薩摩藩主になった。重豪は、薩摩藩は日本の最南端にあるので、武士の教育がじゅうぶんでないという心配があり、儒学で士気をふるい起こそうと考えた。また、進取の気性に富み、学問好きであったため、オランダ商館長やシーボルトとも親交があった。このようなことから、藩の政治にも積極的な開化政策を取り入れる基になった。1772年(安永元)、中央公園あたりに藩の学校造士館を建て、8歳から22歳までの若者に朱子学を中心に学問をすすめた。また、造士館のとなりに武道場として演武館を建て、文武両面のたん練をすすめた。こうして、薩摩藩には学問や教養のある若者が多くなった。さらに、重豪は医学についても非常に関心が強く、造士館の南どなりに医学を研究する医学院をつくり、吉野にも薬園をつくって、薬の原料になる薬草を植えさせた。ついでに1773年(安永2)、明時館も建てた。そのほかに、重豪の命令で編さんさせた「成形図説」は、藩内の農業・植物・動物などについて書いた本で、百科辞典のようなものである。100巻分の原稿ができていたが、版木が2回も焼失して、そのうち30巻が刊行された。さらに、中国語の本である「南山俗語考」や鳥類のことを書いた「鳥名便覧」、藩内の薬草の「質問本草」などがある。重豪は、古くさい空気が支配して、文化的に遅れている薩摩をたてなおすために、いろいろの文化事業を起こした。上方から商人の移住することを許可して、商業の繁栄もはかったのである。重豪の三女茂姫が一橋豊千代に嫁ぎ、やがて豊千代が第11代の将軍となると、その力が強くなり、幕府の有力者が藩の屋敷を訪れるようになった。このため、「高輪下馬将軍」とうわさされた程である。しかし、重豪の政策は、たくさんの出費をともない、それまでの借金も多かったので、藩の財政は大へん苦しくなった。財政をたてなおすために調所広郷に改革を命じたが、その途中で89歳の生涯を終えた。
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